04月01日〜03日「激動の三日間」
なお、時間などは、記録してません。

1日目〜荒川沖からさいたま新都心経由、瑞江まで〜 

 「ちゃららら〜ん」が鳴る前、03時30分に目が覚めてしまった。と言うか、布団には潜ったものの一睡もしていないと言うのがホンネ。04時までの残りの30分を友人から借りた同人誌で繋ぐ。
 04時になったので、1階に降りて身だしなみを整え、テレビをつけてみる。うを〜っ、「われめDEポン」(注1)がやってるぅ〜。ついつい見入っていると、母親が起きてきてしまった。「駅まで送って行ってくれる?」と聞くと、了解が出る。ありがたい事じゃ。「携帯持って行くか?」と聞かれたが、こちらについてはきっぱりと断る。05時10分に家を出る。外は、もう明るい。02月の時とは大違いだ。が、まだまだ寒かったのはまだ朝だったからでしょうか?

 05時25分、旅の定番電車、1320Mに乗車。ひたち野うしく、牛久と電車は走る。
 牛久では、「ひたち」の牛久さんと合流の予定だった。が指定の号車に乗っていたにもかかわらず氏は姿を見せなかった。「自分が号車を間違えた」と重い11両編成の9号車から1号車を往復。10号車と11号車は探さなかった、と言うか探せなかった。だって、10号車ってさー行商のおばチャンが商品ひろげて物々交換してるんだもの。しかし、氏は発見できず。探している途中に私が大っ嫌いなゲームショウ目的の輩(注2)が行く手を阻む。それにしても、4〜5人でドア付近に固まってワンダァスワンだかゲェムボゥイだかをやるのは止めろ!

 ああ、こんな事があると解っていたら、素直に携帯を借りていれば良かったと思う。途中で降りようかと思ったが、目的地までは行ってしまおう事にした。
 しかし、さいたま新都心へ最速で行くためには、06:30分、上野発の高崎線に乗らなければならなかった。氏への連絡の時間を考慮に入れると、どうしてもその次の電車になってしまう、etc、etc…。上野に到着するまでは、そんな事を考えていた。

 上野到着。運良く、階段に近いところのドアに乗っていたため、ダッシュで電話を目指す。で、電話をしてみる。「プルルルル、プルルルル…」出ない。そして、「ガチャッ」出たっ!、が「メッセージセンターに繋ぎます」。「メッセージ」の「メ」の字を聞くと同時に、受話器を乱暴に置いた、そして時計を見ると、06:29分を指していた。私は、慌てて6番線へ急いだ。余裕でセーフだった。
 一本も遅らせることなく、06:30発、高崎線に乗車できたわけだが、先頭車だからだろうが乗客は私を含めて3人。少年(その時点では、鉄道マニアの少年だと思っていたが、違ったらしい)とおぢさんだった。
 高崎線、アーヴァン号だったらついつい「MOTOR MAN」の「御乗車の電車は〜…」と口ずさんでいただろうが、尾久、赤羽と過ぎ蕨付近を通過中には「わぁ〜らヴィ」と口ずさんでいたから恐ろしい

 そして、さいたま新都心付近。乗務員訓練をしていないのか、架線柱のところに「B7」と書いた看板があったので、通過しないか期待していたが運転手は、期待を裏切った(これが正しい業務です)


純白!、そして屋根も純白!
命名「その子BOSE」(笑)
 そして、新駅に降り立った。メロディーの収録をしようとスピーカーを探すが、見つからない。そして、メロディーが鳴ってしまった、新曲やった。で、肝心なスピーカーだが、白いスピーカーだったので、保護色になって見えなかっただけだった。
 そして、同業者さんを探す、がいらっしゃらない。と言う事は、業界一番乗りと言う事でいいのでしょうか?
 3・4番ホームを上野方面に同業者さんを探しながら歩いていると、上野方面行き高崎線が到着。メロディーを聞きつつまだテクテクと歩いていたら、後ろから声をかけられた、ぶりざーどさんだった。「「ひたち」のさんが遅れているみたいです」と告げると、08時ぐらいに到着とのこと。その後は、2人でメロディーの調査&収録。
 1・2番線(京浜東北線)が我孫子で使われている曲だと解ったので、ぶりざーどさんが「「○○(「ひたち」の牛久さんの本名のため自主規制)君、コケるかもしれない」とおっしゃっていた。
 08時ごろ、「ひたち」の牛久さんが到着。そして、良いタイミングで京浜東北線も入線。そして…。案の定、コケました

 氏は遅れた事を申し訳なく思ったのか、私に昼食をおごってくれることになった。嬉しい限りです。その後、09:30頃大宮に向かった。大宮では、メロディーを収録したが、いいところまで行って切られる。この怨み、いつか晴らしてやる〜。その後は市内で「ひたち」の牛久さんが金作された後、10:00頃某牛丼屋で遅めの朝食。その間、「ひたち」のさん(注3)しきりに携帯を駆使して連絡を取り合う。少しだけカッチョ良いと思う。
 大宮駅で、ぶりざーどさんは用事があるとのことだったのでお別れする事になった。私は、「ひたち」のさんと再びさいたま新都心へ向かう。

 さいたま新都心には、おりはらさん、北1010番街さん、ひのはるさん、NSRCさん、しみずさん、チェッカー菊地さんがいらっしゃる。で、この駅ATOS放送を採用しており、皆様収録されていた模様。(注4)。ちなみに、京浜東北線ホームは改良版放送で、東北・高崎線ホームは「上野行き」、「高崎行き」と、なぜか「伊勢崎行き」だけが改良版。後は全部「ウツノミヤ 行き」とか「カゴハラ 行き」と言う酷い有様。ま、ATOSらしいと言ってしまえばそれまでですが、ファンの期待を裏切らなかった点は評価しましょう
 そしてお昼時になる。大宮に移動するとのことになったので、切符を買いに私は一回駅の外に出る。そこで思った事、なんて開放感があるんだろう…。人が集まる場所としては、非常にふさわしい場所だと思った。そして、新駅なのに人がたくさん居る事も評価できよう。Hたち野Uしく、H王子Mなみ野、東M戸とは大違いでしょう。

 そして大宮に移動。お〜おみ〜やに〜しぐ〜ちア〜ルシェ〜(注5)…じゃなくて、大宮西口に降り立った一行は、地元民のおりはらさんを先頭にファミレスまでの道のりを歩いた、その間に交わした会話は非常にDeep過ぎるので、あえてここには記さない事にする。そして、やっと到着〜と思ったら、何と北与野駅まで歩いていたのだ、そんなに苦でもありませんでしたが。
 一行は、駅前のビル(注6)の中にある和食系のお店で15:00頃から遅めの昼食を取る事になった。そこでの会話も、非常に濃密でした。

 そして16:30頃、私は、瑞江の祖父母宅にご厄介になる関係でそこで皆さんと別れた。

 そして、北与野からは、寄道もせず埼京線で新宿、新宿から中央線快速で東京、東京から総武線快速で馬喰町、馬喰町から馬喰横山まで歩きそこから都営新宿線で瑞江入りしました。

 全工程:記録が無い…(殴)
 そして、さいたま新都心駅でお会いした、ぶりざーどさん、「ひたち」の牛久さん、おりはらさん、北1010番街さん、ひのはるさん、NSRCさん、しみずさん、チェッカー菊地さん(お会いした順)には、大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

注釈解説
注1  たまにフジテレビで深夜からやっている番組、内容は、芸能人がただひたすらマージャンをやっているだけと言う、何ともマニアックな内容。ただ、始発で出て行く時に放送していると、テンションの高い外人が出ている通販ショウよりは面白いのでついつい見入ってしまう。
注2  数年前、ゲームショウ期間中とばっ旅とが重なった時、柏駅で整列乗車を無視した輩を見てから、私は嫌いになりました。でも、新松戸駅で、そいつらが南浦和方面行きホームに大量に居て、正しいほうの西船橋方面行き電車に乗れなかったのを見たときは、友人以下私も「ざまーみろ」と思った。
注3  私が「ひたち」の牛久さんを呼ぶ時の呼び名。これからもかなりの頻度で出てくると思うので、覚えておくとよろしいかと。
注4  私には、行き先放送の収録をする習慣が無いのです…。ちなみに放送前の音楽は収録しますが、ATOSの放送なので、もうデータを持っていた。
注5  NACK5のリスナーなら解るはず。大宮西口の「ARCHE」と言うビルのCMで使われている。このビルにはNACK5のスタジオも入っている。文中での意味は、「ただ使って見たかっただけです」(殴)
注6  埼京線で通りかかる時によく見ていたビルだが、おりはらさん曰く、埼玉一大きな本屋とのこと。店名は「書楽」と言い、「楽」の字が焼肉の「安楽亭」の「楽」に似ている事から、系列会社であろう。

2日目〜瑞江から都心迷走、荒川沖まで〜

 09:30頃起床。そそくさと1階に降りていく。もちろん祖父母は起床済み。朝食をご馳走になり、11:00頃家を出る。

 瑞江11:30頃の都営新宿線に乗車。
 さて、問題。瑞江から馬喰横山まで260円です。瑞江から浅草までも同じ値段で行けます。ユースケ壱号が取った行路は…。と言うわけでもちろん浅草まで乗車。浅草での目的は2つ。一つは東武浅草駅のメロディー収録、もう一つは某超有名オブジェを写真に収める事。
 馬喰横山まで行き東日本橋まで歩く。この行路は、夏と冬の某イベント時に良く取る行路だが、今回は新橋方面じゃなくて浅草方面に乗車。いろいろな電車が乗り入れているが、今回は、都営5300形だった。ちょっとだけ「エアポート快特」を期待した。

 浅草は、初めてじゃなかったが、駅周辺は初めてだった。だから、都営線と東武線まで5分も歩かされるとは思わなかった。地上に出る、久しぶりの地上だ。陽光がまぶしい…、すみません曇ってました。で、東武浅草駅まで歩く。途中には神谷バー(注1)、そしてゴールデンう(自主規制)。気分はお登りさん。
 駅前で信号待ちをしていると、誰かに声をかけられた。その娘は、「すいません、台湾大地震の義援金と署名をお願いします」と。私は忙しい振りをして何とかかわす。そして、東武構内に入る。感想、「狭い」。日光・鬼怒川方面の玄関口としては、ふさわしくないでしょう。それと、カーブの途中にホームを強引に作った(延長)したためか電車とホームの間がすごい開いている。飯田橋ほどではないが…。
 そして、一番俺をがっかりさせたのは「バイリンガルおねーちゃん」である。事あるごとにアナウンスをしてくれるのだ。それに、「スペーシア」「りょうもう」系統には、英語でアナウンスしてくれます。せめてもの救いは、メロディーのスピーカーとアナウンスのスピーカーが別々になっていたこと。でも、響いてしまって結局ダメっぽい…。
 一通り作業が終わって、駅構外に出る。また信号に引っかかる。そして背後から、「すいません、台湾大地震の義援金と署名をお願いします」と。俺は台湾娘に好かれやすい顔なのだろうか? 赤信号だったので、逃げられず「少しばかり」と200円(注2)その娘(注3)に渡した。署名は、信号が変わってしまったのと(20%)、実は義援金のための署名ではない(80%)と思ったのでしてこなかった。


要はこういう事。
日本一有名なう(やっぱり規制)
 第二の業務も終え、地下鉄に乗りこむ。今度と反対方面行きの電車で馬喰横山まで戻る。戻った後、馬喰町まで歩く。ただひたすらに歩く、そして歩く…。素晴らしく遠い。
新宿線からだと近いのに。もうこの行路は歩かないでしょう。
馬喰町からは総武快速線で東京まで。この前は、ヘマをやらかしたおかげで地下1・2番線を逃していた。再戦を果たす。そして…、黙ってろよ駅員! おら、運転手ドアは音を立てて閉めない! あ゛ーっ、2コーラスが〜。という事です、はい。

 今日は、切符も切符だった(注4)ので山手線区内だけの調査。東京からは、山手線で五反田まで。五反田…、浅井企画がある町。そして…(自主規制)(注5)。1番線はすんなりOK。2番線は、「余韻までならしてよぉ〜」って感じ。オマケに、乗客に手を打たれたからね…。
 五反田の次は渋谷まで移動。結構人が多かったので恥ずかしかったが、まあ慣れてしまえば、と言うわけでして収録。滞在時間は10分弱。
 次は原宿まで移動。エレベーターだかエスカレーターの工事中だったらしく、人の多さ+ホームの狭さで収録は難航しそうだった。が、何とか良い場所を見つけて収録。成功した?と思っていたが、何と帰ってきたら雑音だらけ…。
 お次は、新宿。やっぱり日本一の乗降客、喋りも日本一。無雑音は8番線と10番線を余韻切りで…。

 その後は総武・中央線で秋葉原まで移動。途中信濃町で途中下車。録る事は録れたのだが、なぜか雑音が混じっている。なぜなんでしょうね〜?
 途中水道橋で面白いものを見つけたが御茶ノ水まで乗車。車両のほうが興味引かれたからだ。乗った車両は忘れもしない「クハ205-103」。総武線の黄色い帯がはがれかけて、茶色い色が見えているのだ。今となっては謎なのですがそれを撮ろうとして御茶ノ水まで行ったわけだが、総武線ホームは相対式で問題の帯は反対側になってしまった…。しょうがないので、再び総武線で水道橋へ。 野球の試合があったのだろうか、水道橋は混んでいた。そこで面白いものを撮って再び総武線で秋葉原へ。

 秋葉原では、総武線のメロを録ろうとしたが、素晴らしく混んでいたため断念。のども渇いていたので、ジュースを飲んでいたところ。新宿方面行きホームに209系が停まっていた。が、おかしい。VVVFインバーターの音がどうも違うのだ。車号を見てみると、「E231」系だった。ちいっ、写真撮り忘れたぜ。

 その後は、京浜東北線で上野まで移動して常磐線で帰宅。

注釈解説
注1  明治時代からある(らしい)由緒正しいバー。「電気ブラン」を作った事は有名(だったよな?)
注2  だって、100円だけ渡して後で「けち」とか思われるのやだもん。そこのところちょっと見栄っ張りな私。
注3  ちなみに、1回目と2回目は違う娘。本当に、これが日本の娘だったらなぁ…。
注4  今回の旅に使ったのは「東京自由乗車券」で、山手線内と少しばかりのフリー区間内で乗り降りすれば2日間有効の切符。今回は、2日目だった。と言う事は?
注5  さあ、何のことでしょうねぇ〜?

3日目〜荒川沖から我孫子経由さいたま新都心、そして荒川沖〜

 10:00頃溶けながら起床。実は、この旅は04月01日にさいたま新都心でしみずさんとチェッカー菊地さんにお誘いを受けていたものだった。その時私は曖昧な返事をしていたのだが、せっかくの機会だったので同行させていただく事に。
 そこで、もう移動しているはずのしみずさん自宅から連絡を入れる。が、まだ寝ていらっしゃったようだ。
 参加する事だけを告げ、準備を始める…と言っても昨日帰ってからそのままだったからたいしたことはしていませんが。

 ちゃちゃっと食事を済ませちょっと食休み…、あ〜っ、電車乗り遅れるぅ〜
 待ち合わせの我孫子には11:00集合になっていた。しかし、私が乗ったのは荒川沖10:43発の電車。17分では我孫子までは特急でも行かない(と思う)。

 11:16、我孫子到着。チェッカー菊地さんと合流。メロディーを収録。しかし、喋る事…。すべてのホームで喋っているとはどういう事?11:45頃しみずさんも到着。私も含めて3人で収録をするが、まだまだ喋る。そして、事件は起きた。1番線で収録していたところに5番線に電車到着。そして、メロがフルで鳴る。しかも喋ってないし!それも、1度なら良いが3度ぐらいもあったんだなぁ〜。それと、7番線が2コーラスも鳴ってみたり…。

 我孫子からは、さいたま新都心まで行く事になり、その後は爆音快速として名高い常磐線快速に乗って上野まで移動。そこからは高崎線に乗って尾久まで移動。

 尾久駅は初めて降りる駅だったが、何か開放感があって非常に良い。屋根が短いからでしょうが…。そして、スピーカーが低い位置にあるのも魅力的。しかし、フルではなかなか鳴らない。そして、鳴ったとしても接近放送が被る。電車が短いから雑音が混じる事はめったに無いから、この上ない環境なのだが…。
 メロディー収録の合間に軽く談笑、そして収録といった感じで過ごす。その途中で、少年に「E231系は何時ごろに来ますか」と聞かれるが、まったく知らなかったのでそう答える。
 そして、チェッカー菊地さんは帰宅。しみずさんと私でさいたま新都心まで向かう。

 車内では、尿意を催した私がトイレに行った時のこと。用を済ませて水を出したところ、思わずアチっと言うほど熱かった。その事をしみずさんに言うと、「よくある」とのこと。私は初めてでしたが…。
 丁度腹も空いてきたところだったので浦和で下車。それにしても、県庁所在地の駅としてふさわしくないなぁ。友人に「埼玉の県庁所在地」を聞いたところ「大宮」と即答したのも解るような気がする…。

 で、浦和の話だった…。
浦和駅で駅蕎麦を探したところ、どうも見当たらない。美味しそうな匂いはするのだが…。そこでしみずさんがキオスクのおばさんに聞いたところ、「駅の外」であるらしい。そこで、南浦和まで逆行する事になった。

 南浦和のまずい駅蕎麦については4番線に書いてあるので、読み終わったら見てくれい。

 そして、TS京浜東北線の間違い当のネタで盛り上がりながら京浜東北線で15:00頃さいたま新都心入り。ぶりざーどさんと「ひたち」の牛久さんがいらっしゃるとのことだったが、どこにもいらっしゃらない。2人で収録をしていたが、やっぱり鳴りませんなぁ〜。初日の慣れていない時(面白がっている時)のほうがやっぱり良かったらしい。特にしみずさんは発車メロディーをmidiで公開されている関係で、「間」が重要である。4番線は持っているが3番線の物は持っていないとのことだったので、私が後で送る事に。
 そして、実は同業の先客さんがいらっしゃったのですが、その方々がこちらに気付いて近寄ってきたところ、しみずさんはご存知の様子。下総の主・Mさんとその友人さんであった。私は、下総の主・Mさんとは初対面だったので自己紹介をしその後は軽く談笑の後御二方は帰宅されました。

 しかし御二方、遅い。しみずさんが「ひたち」のさんに連絡を入れるとファミレスでお食事中だったらしい。「30分」で行くとのことだったが、来ないのでもう一度連絡すると「もう5分」とのこと。
 そして5分後「ひたち」のさんともう御一方(ごめんなさい、名前を忘れてしまいました…。)がいらっしゃった。ぶりざーどさんは風邪でダウンとのこと。
 そして、合流して早々に東北線(高崎線?)で赤羽まで移動。実は、もう御一方はJR東海の運転手さんだそうで、車中では「ひたち」のさんとDeepな会話を繰り広げていたが、私には何の事やら・・・。

 赤羽で京浜東北線に乗換、日暮里で下車。途中東十条で「東十〜条〜、ヒガシジュウジョウです」の放送が流れた時の事、運転手さんは「これはホントにAHOS(アホス)や」とおっしゃっていました。

 で、日暮里だった…。日暮里では、竜ケ崎機関区さんがいらっしゃった。しかし、途中で運転手さんは帰宅され、私も時間になったので帰宅しなければならなかったが、何だか皆さんに突っ込まれてしまって…(自主規制)。

 その後は、上野まで京浜東北線で上野まで移動して、乗換時間わずかの常磐線で帰宅しました。

 そして、当日にお会いした、しみずさん、チェッカー菊地さん、下総の主・Mさんとその友人さん、「ひたち」の牛久さん、JR東海の運転手さん(ホント申し訳ございません…)竜ケ崎機関区さん(お会いした順)には、大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

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