山形・仙台見聞録 初日。

  旅は放課後始まる。

 確か旅の数日前だっただろうか。ぶりざーどさんにお誘いを受け、同時にICQに上がっていた北斗星さんにオファーをかけていただき、私はメールでminatchさんにオファーをかけた。その時の私のメールが元で、ひのはるさんも巻きこんで総勢5人での山形・仙台収録ツアーとなったのでした。

 旅の初日の3月19日。国民の休日・春分の日の前日の月曜日、当然の事ながら私は学校でありました。それも、午前中4時間+昼休み+午後2時間+掃除という通常授業でありました。つまり、フルタイム労働という事ですね。15:30に放課し即効で自宅へ帰宅。インターバルは30分弱、お茶を飲みつつ再放送のドラマを見つつ16:43の常磐線に乗るべく駅まで送ってもらったのでした。さ、1泊2日(ほぼ0泊2日)旅行のはじまりはじまり。

 まず、意外と恐れていたのは学校のクラスメイトと乗り合わせることだったりして。丁度この前後2本がウチの学校の生徒が下校する列車。鉢合わせたら「なにやってんの?」って会話になるに決まってるんだから、とプライベートでクラスメイトに合うのが嫌いなY1はヴォヤクのでありました。
 って言うか、話しかけられたとしても大荷物を持って地元から電車に乗ってるんだからおかしな話しになるはずだし。それに学校終わって自宅から30Km以上離れた場所行くこと自体、一般的高校生ならばまず考えないはず。こういう場合は、説明してもたいてい信じてもらえないのがオチになるのが普通だと思うが、我が習性を知ってか知らずか意外と「
あんたなら有りえる!」みたいなことを言われてしまう自分が恐ろしい。
 暇なので、扉脇の2人掛けロングシートに腰掛けて乗客ウォッチングをしていたんだけどね、結構暇はつぶれるのでお試しあれ。それにしても、隣のオヤジは絶対塾の講師、前の弦楽器系のケースを持った女性はなぜ荒川沖から乗ったのか…?

 途中天王台でminatchさんと合流、その後ろに見覚えのあるデカいシルエットが…と思ったら、「ひたち」の牛久さんでした。って言うか、計画的ドッキリだったらしい?
 北千住付近でなぜか部活の顧問から電話がかかってきてとてもサプライズ。しまった、
今日の部活サボったのがヴァレてしまったか…、と思い電話に出たが向こうの電波が悪く切れてしまう。しばらくたっても電話がないため、日暮里まで出て京浜東北線に乗りかえる際に電話をしてみたら、会計関係のことでの入電らしかったのでちょっと安心。

 東京ではもちろん速攻でコンコースへ消える。「ひたち」の牛久さんは栄松堂書店視察のあと湘南ライナーで向かわれるとの事だったのでminatchさんと東海道線ホームへ。北斗星さんとの待ち合わせのためだったがお見かけしなかったのね(^^;) で電話をかけてみると「今藤沢」との事だったので、指定電車の1本あとの電車に乗車。しかし通勤路線、混んでる。横浜で一段落したがやっぱり座れない。藤沢まで立ったまま移動、足痛かった。

  希少価値メロ収録ツァー

 藤沢で北斗星さんとぶりざーどさんと合流。早速湘南ライナーホームへ、なぜかぶりざーどさんとminatchさんは入線してきたライナーに乗車してしまった。入れ替わりに「ひたち」の牛久さんご到着。取り残された北斗星さんとワシと「ひたち」の牛久さんとで2番線のメロディーを2本ほど収録。その後茅ケ崎へ東海道線で移動、やっぱりライナーホームへ。
 4番線メロディーを一足先に収録されていたぶりざーどさんを除く3人の収録者たちはやっぱりスピーカーを突つく。その後、なかいさんも合流されてライナーホームで馬鹿話に花を咲かせる。寒くなってきたところで、大船まで移動して飯でもという事になった。

 大船…、そう言えばあったなぁ、という事で他の皆様には申し訳ないがお買い物モードへ突入。

 事も済んで「ひたち」の牛久さんのエスコートで松屋に行く事になったのだが、道を間違えたのか吉野家が見つかった。逆だったかもしれないが気にしない事にしよう。
 で、結局見つからなかったので駅前のマクドナルドで妥協する事に。温まったところで皆様私だけという噂もあるが終始暴走モード。時間が来たところで大船駅へと戻る。

  快楽を求めて

 さて、大船から乗った電車が常日頃「ひたち」の牛久さんから電話で噂だけは聞いていた、JR東海の373系を使用した東海道線普通電車。確かに特別料金ナシで特急型車両に乗れるのはかなりオイシイ経験だと思うが、所詮185系と同じ「通勤型と特急型の両立」をコンセプトにした車両だからどうかと思っていた。しかし、我が感想は「参りました…」の一言でしたね。
 まず、フリーストップのリクライニングシートと座席のクッションに驚いたよ。そして出入口のLEDにはJR東海の商品の紹介が流れてるのね。

 桝席を作り、minatchさん+北斗星さん+なかいさん+ワシで異常なほどに盛り上がる。あ、なかいさんとminatchさんの携帯のストラップが某ゲームのキャラのものって事でも盛り上がったし。一方ぶりざーどさんと「ひたち」の牛久さんは一人ずつ座り「嗚呼、至福〜」と言わんばかりの顔をしてお休みになってました。
 品川で北斗星さんが座席取りの関係で降車され、残る5人は新橋までゴウジャス
((C)叶姉妹)スィートを堪能。山手線で上野まで移動し上野で「ひたち」の牛久さんとお別れ。残る4人は高崎線最終新前橋行きの民となったのでありました。

  本題、ここから。

 さて、すでに異常なほどの混みようを見せていた高崎線乗り場ではあったが、ぶりざーどさんの心理作戦のお陰で妻面寄りのボックスを確保。一路高崎へと向かったのでした。
 赤羽−大宮で異常なまで混み方を見せている車内で、沿線住民・ぶりざーど先生に高崎線についてレクチャーを受ける。それは最終新前橋行きと本当の最終高崎行きの間に籠原行きが3本あるにもかかわらず、この混みを作っている元凶のほとんどは籠原以南の乗客によるものなのだそうだ。常磐線で言うと、中電の混みの元凶が取手までの乗客によるものと言うのと似ているだろう。

 暗がりで数組のバカップルが○○やら×××やら□□□□やら(一部誇張表現が含まれています)をしていた大宮で混み方はピークを迎え、先の上尾や桶川で乗客がどんどん減っていく。そして籠原や本庄を過ぎるころには閑古鳥が鳴いている状態に。
 空いてきた車内をうろついていたところ、高そうな某ブランドのアタッシュケースが誰も居ないボックスのうえの網棚に乗っかっていたのでさぁ大変。他のメンバーに報告をし、高崎の立ち番に報告する事になったが高崎に到着して立ち番を探すも結局見つからず、アタッシュケースもそのまま新前橋へと行ってしまった。
 ほどなくして北斗星さんが乗っている今日のホテル・ムーンライトえちごが入線。北斗星さんを含めて5人で駅前のコンビニで物資調達。あぁ、
高崎にもあるのに営業時間外なのはイタダケナイ。その前になかいさん、気になるものを発見された様子。うーん、今年もその季節でございますかと一同で同意。

 始めて乗る夜行快速にちょっとだけ興奮、いやかなり興奮かな(笑)。しかし、定刻を過ぎても発車しない。なぜか宇都宮線の人身事故の影響を受けてしまったらしい。ちなみに、高崎で急行「能登」号の待ち合わせもかねているのだが、能登が来るまで発車できないということになりますね。で、なかいさんの推測によると、高崎発車が相当遅れるとのこと。が、ほど無くして能登号到着。我々のホテルもその後すぐに発車、10分遅れだった。

  快速車内の夜は更けて。

 乗ったのは4号車・喫煙席。しかし、夜間帯ということもあってか煙草を吸っているお方は少ない。少なくとも私の後ろの席以外は。50代ぐらいのオヤジだったのだが、煙草を吸いつつ雑誌を読んでいるという…。心の中で「煙いんじゃ!」と叫んでいましたが。かく言う私も、抵抗心で座席リクライニングを幾度となく直してみたりして。ただ、隣を見ると北斗星さんが熟睡されていたので控えめに抵抗していたのですが。

 しかし、夜間照明光度になっているのによく雑誌読めるなぁ、オヤジよ…。

 と、不意に便意を催しトイレへ駆け込む私。しかし、走行中の電車で用を足すのは初めてではなかったが、今回ばかりは勝手が違う。意外に揺れる車内のトイレでしゃがんで安定をとるのは難しい。その間運転停車をしたようだが、数秒とまって発車。高崎での遅れを回復したようだ。
 そんな過酷な条件でスッキリして、自分の座席に戻ると安眠状態の北斗星さんを除く方々に「スッキリした?」やら「長かったけど、
(以下自主規制)」等という言葉を浴びせられる。ワシって結局そういうキャラなのね(開き直り)。

 出すもの出しても(って、そういう書き方すると誤解あたえかねないでしょ?)寝つけなかったので、どこまでも暗い車窓を見ていた。
 まずは、どこまでも続くトンネル。「湯桧曽」などという駅名看板が見えたので、かの有名な「湯桧曽ループか?」とか思ったのだが、自宅に戻ってから調べると、ループがあるのは上り線、乗っていたのは下り線。よってループ越えではなかった事が判明。でも、「国境越え」に一人で感動していたのでした。
 湯桧曽から続く闇のほぼ中間ある土合駅と思われるところを見て再び闇へ、そして明かりがほのかに明るくなる。車窓には3月も終盤に入っているのにまだ雪が積もっていたのだ。無事に国境越えを果たし新潟に突入したのだ。

 ちなみに、夜行快速「初心者」Y1がそこでやったのが、かの有名な川端康成の「雪国」の冒頭を携帯電話で友人にメール。
 なおも眠れなかったので、夜闇をずっと見ていた。ほど無くして反対側の窓を上りの「能登」が通過、時間は3時ごろ。「旅先で貫徹は辛いなぁ」と思い再び自分側の窓を見ると、看板に
加○雄三の顔が…。恐らく彼のスキー場の看板だろう。

 不思議と加山雄三で「ワシって今、越後湯沢にいるのね」と実感。その安心感からか、越後湯沢出発後に寝てしまったようだ、起動時間換算で長い1日だった。続きはこっち

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