大学生活初の夏休み、8月16日に…。

 序文 オカイモノ奇行、再び。

 えーと、久々ですね。下手したら「年単位でご無沙汰してます」って感じでしょうな。しかし、この企画は自分自身でも日記との区別があまりつかないんですよね。まぁ、日記は「日常生活を徒然なるままに書くものだ」と割り切ってますけどね。
 で、今回の見聞録はというと、ほとんど買い物です(ぉ つーか、今回は浅いわけがありまして…。
 話は遡りますが、ココのサイトを見ていると、なんと本厚木の店舗が8月25日で閉店になるというじゃありませんか。しかも閉店セール。ここで勘の鋭い読者諸君ならワシが取った行動が読み取れると思うのであえて省略。
 早速、SANCHEさんに連絡を取って、いざ出陣! と相成ったわけであります。

 無理かもしれない。

 今回の横浜ツアー(←って書くと本厚木がサブみたいだな)では、「横浜市電保存館に行く」「横浜市営バスロングランの旅」「SANCHE邸に一泊させていただく」という、厚木に行ってからでは到底不可能な内容で行って頂くことに。
 ワシはワシでまず、川越から東上線急行に乗って和光市まで行き、そこから有楽町線で永田町。永田町から半蔵門線に乗り、表参道で千代田線に乗り換えて、終点の代々木上原で小田急線の急行に乗り換える。代々木上原では久々にJR209‐1000系を拝む。つーか、こんな所で拝めるとは思って無かったよ。
 しかし、複々線化工事の影響か小田急の急行って遅いですね。東上急行の男気のある走りに慣れてしまうと、小田急は女々しいですな。
 とまぁ、急行への不満はさておき、上原から乗ったにも関わらず座れてしまったので暫しの休息を取ることに。しかし、この時点でワシが指定したよりも30分早い電車に乗れていたのでした。というのも、当方に朝っぱらから用事があったので、30分ほど遅い電車に乗る予定だったのですが、用事が早く済んだのでその分早く出れたのでした。で、必然的に本厚木にも30分ほど早く着くことになり、11時集合のところを10時30分には到着しているという恐ろしい事態が予想されたのでした。あ、実際もっと早かったかもしれません…。なんせこの文を10月に入ってから打ってますから。そこで、一旦町田で下車。SANCHEさんに電話。「当方町田にいる」と伝えると、先方まだ地元からバスにご乗車中とのこと。その際に、町田で抑止してろ! との指令が下り、「各停 新松田」やら「各停 新宿」などと表示してチンタラ走ってくる電車に悪寒を感じつつ氏を待つことに。途中でJR東海の371系を拝んで少しは明日への希望も持てましたがね。
 (ちなみに余談ながら、新宿‐新松田間71.8km.は、東上線でいうと池袋から小川町までよりも長いです。ちなみに、池袋‐小川町は64.km.だそうな。寄居でやっと75km。池袋‐小川町よりも長い距離を各駅停車で走破させる小田急に乾杯)
 そんなこんなで、SANCHEさん合流。本厚木まで急行に揺られることに。ちなみに、下りホームに待避していたのは各停の本厚木行き。ロマンスカーと我々の乗った急行に抜かれてます(爆

 狂喜乱舞買物ノ宴。

 本厚木に着くや否や、郵便局で金作。その後無印の宴と相成りましたわけで。
 ちなみに、ココへ来るのは2回目。前回は高山病になりつつも狂喜乱舞しておりました。で、肝心の閉店セール中の店内に入りますと、大体の物は売れてしまっている模様。フロアも、以前は6階まであったものが4階までに縮小されておりました。しかし、閉店セールだけありまして、値段はかなりリーズナブル。ワシは衣類とお菓子、3488円分を購入。おかげで紙袋を2つ所持者になりました。
1Fでは、ワシが欲し自転車までもが安くなっており、手を出しかけたのだが、厚木から川越まで乗って帰るのは酷な事であると諭され断念。また、上層階(何階だったか忘れた)では、アイロン台が半額になっていたのだが、これも後々の工程をこなすのに邪魔になると諭され断念。そんなこんなで本厚木を後にし、いざ横浜へと向かう事に。横浜へは、またまたワシの我が儘が炸裂し、海老名から相鉄線に乗ることに。ちなみにワシは相鉄初体験。
 海老名からの電車は4ドアのくせにボックスシートつきで、窓ガラスがボタンで開閉できるスグレモノ電車(8000系だそうです)に大和まで乗る。大和からは、始発の各駅停車に乗る。使用車両は、相鉄版E231系こと10000系。いやー、新しい物好きとしては我慢できませんでしたね。
 しかし、相鉄版E231、本家とあまり変わりませんな。違いといったら、ドア上LEDで「次は二俣川」→中略→「いずみ野線は」→「お乗換です。」って、あの狭いLEDに表示されるんです。しかもスクロールでなく点滅で。かなり萌え。横浜でももちろん表示されていたのですが、流石に多すぎて見難いことありゃしない。この時点でさっきまで萌えてたものが一気に冷めました。

 時間もそろそろお昼時ということで、相鉄横浜駅構内にある星のうどんでランチ。駅うどんにしては本格的で、かなりのお味でした。
 駅の外へ。ワシの欲しいものを求めて西口のビックカメラに行ってもらうことに。もちろんSANCHEさんのナヴィで。つーか、横浜ごちゃごちゃしすぎでわからねぇよぉ(ぉ しかし、ワシが求めているものは無く、おとなしく東口のバス乗り場へ。
 東口からは市営バスに揺られて滝頭というところを目指す。ちなみに、この辺のルートはSANCHEさんに任せきりであります。つーか、市営バスのファンサイトを立ち上げていらっしゃる氏に任せておけば、横浜で迷うことも無いでしょう(ぉ ちなみに、ワタクシにはとこを走っているか見当もつかず、なんか揺られているうちに目的地に着いてしまったという感じでした。

 狂喜乱舞保存館ノ宴。

 さて、市電保存館に到着。入場料200円と、市営地下鉄シミュレーター代100円を払っていざ入館。まずは、シミュレーターで市営地下鉄の運転士気分を味わいに、いざシミュレーターの前に行くと、係の人がいないじゃないですか。待てども暮らせど現れる気配が無かったので、入場口に呼びに行こうかと思っていたところで、おばさん登場。どうやら入れ違いになっていたようだ。保存館のおばさん監視の下、小道具の市営の帽子をかぶって2駅。そして、SANCHEさんも2駅。流石に氏のほうが上手かったですな。流石ハマっ子ですじゃ。
 そして、市電の保存車両を見学したわけですが、何が凄いかって全部の車両に入れること、もちろん運転台にも入れます。これは我的ヒットですわ。五月蝿いガキ お子様が少ないのもまたポイントですな。まぁ、行ったのが平日の金曜日だったという事もあるでしょうが。まぁ、終始萌えまくりだったことには変わりないわけでして(^^; 帰りには勿論はまりんグッズをゲットして市電保存館を後に。ちなみに、シミュレーター担当のおばさんは、売店の売り子も兼任していました。
 帰りは、市電保存館横のバス停から桜木町行きのバスに乗り、途中根岸駅を経由し、根岸競馬場跡の横を掠めて行ったが、SANCHE邸に向かうバスのことを考えると、途中での乗り換えが必要とのこと。運良く我々の乗っているバスの後ろに横浜駅東口行きのバスが来ていたので、乗換ることに。この一連のことをしている間に夕立が降り出し、横浜駅近くになると土砂降りになっていた。そして、SANCHE邸行きのバスの時刻も迫っていた。そんな最中、ワシが尿意を催し、その事を氏に打ち明けると、猛ダッシュで地下街を疾走し、華麗に人の波をかき分けてトイレへとナヴィ。用を済ませ、またも猛ダッシュでバス乗り場へとナヴィ。何とかバスには間に合うのでした。

 市営バス長丁場。

 さて、安住の地を得たかのようにバスに乗り込んだ我々一行は、最初は別々に座っていた。つーか、あまりにも混んでました。ここでもお約束どおりどこを走っているのか判らないワシでしたでも、国道16号線に入ったのは判りましたがね。
 途中のバス停で人が減ったので、並んで座ることに。その間、色々教えてもらってました。そこで気になる乗客を発見してしまった。横浜市営バスに乗る川越銘菓の紙袋を持っているご夫人である。気にしだすと結構止まらないたちなのだが、多分何かの縁だろう。16号線ずーっと行けば辿り着けるしね、川越。ご婦人の取ったルートは多分電車だろうけど。そんなこんなでSANCHE邸最寄りバス停到着。ご宿泊と相成ったわけでした。

 その後。

 SANCHEさんに用事がある、との事だったので早々にSANCHE邸を後にする。
 まずバスで長津田駅まで抜けてSANCHEさんと別れる。ワシは長津田から田園都市線に乗り、とりあえず中央林間に向かい折り返して上りの渋谷方面行きの民となる。しかし、まだ9時にもならない時間だったので、二子玉川まで行って大井町線に乗換。自由が丘まで行っ東横線に乗り換えて渋谷まで移動。
 渋谷まで行って銀座線に乗換、溜池山王で南北線に乗換、後楽園で丸の内線に乗換。しかし、丸の内線に乗った時に違和感を感じた。

 無印の紙袋×2、南北線に忘れた(爆

 というわけで、池袋で駅員さんにそのことを言うと、遠まわしに自分で探してくれみたいな言い方をされたので腹が立つ。しかし、女性駅員だったので許す。まぁ、忘れたのはワシの過失なのだが。しゃーないので、電話しましたよ。埼玉高速浦和美園と、念のため浅草と水天宮前も。みつからなかったね(^^; 井上揚水の歌じゃないけど踊って夢の中だよ、うふっふ〜(謎。
 その後のルートは、ショックのあまり覚えてません。東上だったかもしれないし埼京・川越だったかもしれないし。

 でも、帰宅後大宮に出向いて、友人と某声優嬢のライブに出向いてシャウトしてたりするんですよね、立ち直り早いな、俺。

 その後の後日談
 一応、上野の営団忘れ物センターに行ってみるも見つからず。乗った車両がSR2000系だったので東急の忘れ物センターにもとりあえず電話、やっぱり見つからず。そして、最後の頼みのつもりで埼玉高速の忘れ物センターにも電話してみましたが、見つからず(TT 結局今に至ってます、自分のせいとはいえ、後味悪いわ…。

 最後に、SANCHEさんへ
 我が儘聞いてくれてありがとうございました+いろいろご迷惑おかけいたしました。
 あと、ダメ出しありがとうございます(ぉ (2002.11.7追記)

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